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(推定読了時間:25分30秒

物理学や情報科学を学ぶ中で数学の一分野である「群論」の知識が必要となる場面が多々あります。

しかしながら群論は抽象数学の入門的な分野であり、抽象数学に慣れ親しんだ方でないとなかなか厳しい物があると思います。

実は群論を学ぶためには微積分や行列・線形代数といった高度な前提知識は全く必要なく、 中学生程度の数学の知識さえあれば理解できるはずなのですが、 基本的な考え方が非常に抽象的ですので、 東大の情報科学科の学生であってもかなり苦労しているようです(筆者調べ)。

確かに群論を系統的に学ぼうとすると抽象的な概念が多く、躓くとこも多いと思いますが、 情報科学や暗号理論で必要な最低限の知識のみに絞れば、さほど難しくはありません。

また、必要な前提知識も先程述べたように中学生レベルの数学の知識のみですので、 文系の方でも十分理解していただける内容だと思います。

そこで本記事では、これから群論を学ぼうとしているけれども、教科書を見てもいきなり数学記号で抽象的なことが書いてあって何がしたいのかよく分からない、 という高校生から大学一〜二年生の方や、文系だけどそもそも群論って何?といった方を対象として、 そもそも群て何?何を調べる学問なの?何に使えるの?といった疑問に答えることを目指します。

途中で足し算や掛け算はでてきますが、それ以外の数学の予備知識は一切必要ありませんので、 中学・高校時代に数学をサボっていた文系の方でも十分に理解していただける内容かと思いますので、 少々長いですがご興味のある方は是非お付き合いいただければと思います。

なお、本記事の内容の中にはわかりやすさを優先したがために、 厳密には正しくない記述や曖昧な記述があります。 ですので、きちんと群論について学びたい方は本記事の内容を鵜呑みにせず、 「ふーん、だいたいこんな感じなんだ」というくらいの気持ちで読んでいただければと思います。 なお、そのような記述の箇所には極力脚注の形で注意書きがしてありますので、 ご参考にしていただければと思います。

最後にいくつか参考文献を紹介しますので、興味を持ちより詳しく調べてみたくなった方は是非教科書をご購入いただき、勉強していただければと思います。

「群」ってなに?

まずは、わからない単語に出会ったときの定番、Wikipedia先生に聞いてみましょう。

数学における群(ぐん、group)とは最も基本的と見なされる代数的構造の一つである。(中略) 群の概念は、数学的対象 X から X への自己同型の集まりの満たす性質を代数的に抽象化することによって得られる。

代数的構造?自己同型?代数的に抽象化??? はい、意味が分かりませんね。

これをもう少し一般人の話す言葉に近い形で直してみると次のようになります。

数学における群(ぐん、group)とは、「モノ」を二つ合体させて新しい別の「モノ」を作ることができるような、そのような「モノ」の集まりのことである。

……まだ少し難しいでしょうか?

もう少し具体的な例を考えながら噛み砕いて考えてみましょう。

例えば「食べ物」の集まりを考えてみましょう。 この集合には「にんじん」「とうふ」「鶏もも肉」といった食材や、 「唐辛子」「こしょう」「シナモン」などの香辛料、 「カレー」「牛丼」「ラーメン」といった料理など、食べられるものはすべて入っているものとします。

このように、モノをたくさん集めてできたものを数学用語で「集合」といいます。 また、集合に含まれるモノのことを数学用語で元(げん、element)といいます(が、以降はカタカナの「モノ」で統一します)。

さて、この食べ物という集合のモノの中には、特定のモノを二つ組み合わせることで新たな「食べ物」を作り出すことができます。 例えば「みそ」と「とうふ」を組み合わせることで「とうふの味噌汁」という新たな食べ物が作れますし、 「たまご」たす「だし汁」で「だし巻き卵」が作れます。

また、「鶏肉」たす「白米」で「チキンライス」を作れますが、 さらに「チキンライス」と「たまご」を組み合わせることで「オムライス」ができます。 このように、二つのモノを組み合わせて新しく作ったモノに、さらに別のモノを組み合わせて別の「食べ物」を作ることもできます。

「群」とは、このようにモノを二つ組み合わせてまた別の新たなモノを作ることができるような集合のことをいいます。 このように「二つのモノを組み合わせる操作」は、二つの項(モノのこと)を組み合わせる演算(操作)、と読み替えることができますので、数学用語では「二項演算」といいます。 やたら小難しかったWikipediaの説明ですが、簡単な言葉に直すと、ただこれだけのことを言っていたのです。

ただ、上の例のように「食べ物」だと、人によって食べ物とみなされたりみなされなかったり(例えば一部の地域では「イナゴ」は食べ物として食されていますが、多くの人にとってはただの昆虫でしょう)など、 数学的な厳密さは微妙であり、れっきとした「群」とみなすことはできません。

従ってこれ以降ではもう少し数学的な厳密さを求めながら、群とはどういうものなのか、どういう性質があるのか、についてみていきます。

群の例

先ほど述べた、食べ物集合は厳密には数学的な群ではありませんでしたので、 ここでは数学的に群であるとみなされている集合をいくつか紹介します。

足し算のなす群(加法群)

整数全体の集合を考えます。 整数同士を組み合わせる操作として、足し算を考えればこれは群とみなすことができます。 例えば「2」と「3」を組み合わせると「5」になりますね。

「足し算」をもう少しかっこよく言うと「加法」ですので、 このような「足し算が作り出す群」のことを、数学用語では「加法群」と呼びます[1]

ただ、整数すべてを対象としてしまうと現実的でないくらい巨大な数字、例えば 808,017,424,794,512,875,886,459,904,961,710,757,005,754,368,000,000,000[2] といった非常識なほど大きな数字も含まれてしまいます。 ところが、CPUが32ビットであるとか、64ビットであるとかいいますが、これはCPUで扱うことのできる数字の最大桁数の事を表しており、 64ビットのCPUで(二進数で)64桁以上の数値を直接扱うことはできません[3]。 そのため、扱うことのできる数値に上限を設けることが多々あります。

上限値を設ける場合に問題になるのは、その上限値を超えてしまった場合です。 例えば上限値が $99$ であった場合には $90+15$ を計算しようとすると、上限値を超えてしまうので困ってしまいますね。 このような場合にはエラーとなってその時点で処理が停止する、としてもいいですが、一般的には「振り出しに戻る」という処理を行います。 すなわち、$0, 1, 2, \cdots, 97, 98, 99$ と来て上限値を超えそうになったら $98, 99, 0 (=100+0), 1 (=100+1), \cdots$ という具合にゼロに戻る、ということをします。

先ほどの $90+15$ の場合にはどうなるかというと、$90+15 = 105 = 100 + 5$ より $5$ となります。 要するに3桁を超えてしまったら、3桁目以降の桁は無視してしまえばよいのです。 このルールをもう少し数学的に表すと、「結果を $100$ で割った余りを求める」という操作に対応していることが分かります。 このように上限値を超えたしまった数字の桁を落とし、より小さな桁の数字と同じだとみなすことを数学用語で「$100$ を法として合同である」といいます。 先程の例ですと「$5$ と $105$ は $100$ を法として合同」だといえます。

また、このときにいちいち「$90 + 15 = 105$ だから、これは $100$ を法として $5$ と合同で〜」などと言っていると、 長くてボールペンのインクがなくなってしまいますので、 \[ 90 + 15 = 105 \equiv 5 \mod 100 \] と略記することがあります。 記号だけで書かれると拒否反応を起こしてしまう方もいるかもしれませんが、 これはただ上で書いた日本語の長い文章を省略して書いているだけで、 「真面目に答えると〜」を「マジレスすると〜」といっているようなものです。 数学者も心の中では「90たす15は105で、えー、これが100を法として5と合同なのかー。」と読んでいる(と思う)ので、そんなに恐れる必要はありません。

このように数字に上限を設けた、足し算のなす群(加法群)のことを整数を表す記号 $\mathbb{Z}$ を用いて $\mathbb{Z}/100\mathbb{Z}$ と書きます[4]。 「$100$で割った余りを考えろ!」というのをよく表していますね。 さらにこれを省略して $\mathbb{Z}_{100}$ と書くこともあります。

少し難しくなってきましたが、要するに「$(\mathbb{Z}/\star\mathbb{Z}) = (\star\text{で割った余りを考える})$」と覚えておいてください。

掛け算のなす群(乗法群)

前の例では整数に対して足し算を考えましたが、こちらはその掛け算バージョンです。

ただ、足し算と違うのは、どのような数字でも $0$ を掛けてしまうと $0$ になってしまいますから、掛け算の場合には $0$ だけ非常に特別です。 そのため、通常は掛け算のなす群を考える場合には $0$ だけは除いて考えます。

こちらの場合にも足し算のなす群と同様に上限値を設けることが多いです。 上限値が $100$ の場合には例えば $13 \times 9 = 117 = 100 + 17$ ですので、$13 \times 9$ の答えは $17$ となります。

足し算のなす群の場合には $\mathbb{Z}/100\mathbb{Z}$ などと書きましたが、掛け算の場合にはこれと区別するために右上に掛け算の記号をつけて $(\mathbb{Z}/100\mathbb{Z})^\times$ もしくは省略して $\mathbb{Z}_{100}^\times$ のように書きます[5]

二次元マップ上の移動のなす群

RPGなどでは、方向キー(←→↑↓)を使って二次元のマップの上を歩けるようになっているものがあります。

このとき、例えば①「東に3歩、北に2歩進む」とか、②「西に1歩、南に5歩進む」のようなマップ上での移動操作を考えます。 そしてこのような移動操作全体の集合を考えると実はこれは群になるのです。

なぜかというと、群とは「二つのモノを合体させて新しいモノを作れる集合」でしたが、 ①の後に②の移動操作を行ってたどり着く場所は③「東に2歩、南に3歩進む」ときにたどり着く場所と全く同じだからです。 すなわち、 \[ \text{①「東に3歩、北に2歩進む」} + \text{②「西に1歩、南に5歩進む」} = \text{③「東に2歩、南に3歩進む」} \] という式が成り立つのです。

同様に考えれば、どのような移動操作に対しても合体をさせて新しい移動操作を作り出すことができますので、 確かにこれは群の資格を満たしていることが分かります。

上の二つ(足し算のなす群と掛け算のなす群)と比べるとあまりにも数学っぽくない群ではありますが、 「二次元マップ上の移動」も数学的にきちんとした群になっているのです。

実はこれに限らず身近な意外なものも群の資格を満たしているものがあります。 よく知られているものとしては「図形の回転」「物の順番の並び替えの操作」「ルービックキューブの回転操作」などがあり、 これらはすべて数学的に厳密に群の資格を満たします。

群を使うメリットとは?

以上のように二つのモノを合体させて新しいモノを作り出せるような集合(群)は様々な種類のものがあることが分かりましたが、 それそろ「足し算とか掛け算とか、単純なものをわざと小難しく言ってるだけじゃないか!!」という声が聞こえそうですので、 ここら辺でなぜこのように「群」というものをわざわざ定義し、考えようとしているのかを具体例を通して知っていただこうと思います。

まずは以下の定理(事実)をお読みください。

定理1A(足し算バージョン)
$n$ を正の整数とする。$0, 1, \cdots, n-1$ の数字のうち、どの数字を取ってきても、これを $n$ 回足し合わせ、$n$ で割った余りを求めると、これは必ず $0$ になる。

この定理の証明は非常に簡単で、どんな数字も $n$ 回足し合わせれば必ず $n$ の倍数になるため明らかです。 「何を当たり前のことを言ってるんだ?」というツッコミが聞こえて来そうですが、ともかく次の定理も読んでみてください。

定理1B(掛け算バージョン)
$n$ を素数とする。$1, 2, \cdots, n-1$ の数字のうち、どの数字を取ってきても、これを $n-1$ 回掛け合わせ、$n$ で割った余りを求めると、これは必ず $1$ になる。

これは直感的にはあまり明白ではありませんが、例えば $n = 13$ として、$2$ という数字を $n-1 = 12$ 回掛け合わせると $2^{12} = 4096 = 315 \times 13 + 1 \equiv 1 \mod 13$ ですので、確かに成り立つことが分かります。 この定理は「Fermat(フェルマー)の小定理」という名前で知られており、高校程度の数学の知識で証明することができますので、腕に自信のある方はチャレンジしてみてください。

さて、定理1Aと定理1Bを見比べていただけると、非常に似通っている文章であることが分かると思います。 しかしながら、「正の整数」が「素数」となっていたり、「足し合わせ」るところが「掛け合わせ」るとなっていたりと、微妙に異なります。

いくら似通っていたとしても、微妙な相違点がありますので、この二つの異なる定理は別々に吟味し、別々に議論し、別々に証明しなければなりません。

ところが、この二つの異なる定理も、前者を足し算のなす群の操作とみなし、後者を掛け算のなす群の操作とみなすことで、群論の言葉を使って全く同じ定理に集約できてしまうのです! 具体的には次のようになります。

定理2(群論バージョン)
$G$ を有限群とする。$G$ の任意の元のうち、どの元を取ってきても、これを群 $G$ の位数と同じ回数だけ掛け合わせると、これは必ず単位元になる。

内容は少し難しいと思いますので、理解できなくてもOKですが、定理1Aや定理1Bと見比べてみると何となくこの二つの定理をまとめた形になっていると分かると思います。 群論の言葉を用いると、このように「似ているけど、違う定理」を統一的に書き表すことができてしまうのです。

今回の例に限らず、抽象数学というものは「なんとなく似てるけど、違うもの」から似ている部分のみを取り出し、共通化することで、 いままでは全く別々に理解されていたバラバラな定理を統一的に理解するために編み出された学問です[6]。 統一的に理解するためには共通の性質だけを抜き出す必要がありますが、 それは例えば群論の場合には「二つのモノを合体させると新しいモノができる、という性質」となっているのです。 バラバラなものから共通部分だけを無理やり抜き出してきますので、その際にどうしても抽象的になってしまい、 小難しくなってしまいますが、これは数学者が偉ぶりたいがためにわざとこういうことをしているのではなく、 このように抽象的になってしまうのは寧ろ副作用なのです。

さて、数学の話と哲学の話が混ざった少々複雑な話をしましたが、これで「群」というものをわざわざ考えることのメリットがお分かりいただけましたでしょうか? 実際に数学書を読み、定理やその証明を追っているとこういった目的意識が薄れていってしまいますが、 この節で述べたことを常に念頭に置いておけば難しい話でもモチベーションを下げることなく読み進んでいくことができるのではないかな、 と思います。

群の重要な性質

これまでは「群」とは「二つのモノを合体させて新しいモノを作ることのできる集合」としていました。 ですが、この性質一個だけですとあまりにも当てはまる集合が多すぎて、 どの群にも共通するような事実を抽出しようとしても、 例外的な仲間はずれの群が出てきてしまい、うまく行かないことがあります。

これまで見てきた「群」の例にはいくつか共通している性質がありますので、 こういった共通的に成り立つような性質も「群」の資格として取り入れてしまうことで、もう少し対象を絞りましょう。

なお、「二つのモノを合体させて新しいモノを作ることができる」という性質は満たしているものの、 以下のような性質は満たすことができない仲間はずれの集合のことを、中途半端な群、 ということで数学用語で「半群(はんぐん)」といいます。

単位元

いままで取り上げた群には、他のモノと合体させたとしても、合体相手と全く同じものになってしまうような、特別なモノが存在します。

少し抽象的で分かりにくいですが、例えば足し算のなす群の場合には「0」がそうです。 2に0を足しても2のままですし、5に0を足しても5のままです。

掛け算の場合には「1」が該当します。 7に1を掛けても7のままですし、12に1を掛けても12のままです。

このように、合体相手を変えないような特殊なモノ(元)のことを「単位元」といいます。

なお、二次元マップ上の移動のなす群の場合には単位元が何なのかは少し難しいですが、 答えは「東に0歩、北に0歩進む」です。要するに「何もしない」という操作です。

このように0歩しか進まない(何もしない)という操作を移動操作の集合に含めるのはかなり違和感があるかもしれません。 ですがターン制バトルゲームなどでは、攻撃も防御も、道具の使用もせずにターンを終了させて相手の出方を待つ、 ということができますよね? これもそのように考えるとしっくり来ると思います。

なお、「何もしない」を移動操作に含めてしまう(本当の)数学的な理由もあります。 「きっとものすごい複雑で、数学的に厳密に証明できるような、まっとうな理由があるんだろうな……」と思った方には申し訳ないのですが、 本当の理由は「そうすると色々と都合がいいから」です。 「何もしない」を含めずに議論をしようとすると、例外的な取り扱いが必要になったりして、色々と面倒だからです。 それだけです。

逆元

いままで取り上げた群にはどれも、どのモノを取り出してきても必ずその「逆」とみなせるようなモノが存在します。

単位元のときの説明と同じく、これも抽象的で分かりにくいと思いますので例をあげると、 例えば足し算のなす群の場合には $2 + (-2) = 0$ なので、$2$ の逆は $-2$ であり、 $-13$ の場合は $-13 + 13 = 0$ より、$13$ が $-13$ の逆となります。 また、反対に $-2$ の逆は $2$、$13$ の逆は $-13$ です。

一方、二次元マップ上の移動のなす群の場合にはどうなるかというと、 例えば「東に2歩、北に3歩」の場合は「東に2歩、北に3歩」進んだ後に「西に2歩、南に3歩」進むと元の場所に戻りますので、 「東に2歩、北に3歩」の逆は「西に2歩、南に3歩」だといえます。

このように、集合に含まれるモノに対して「逆」とみなせるモノ、より正確には合体させると単位元になるモノのことを数学用語で「逆元」といいます。

さて、それでは掛け算のなす群の場合、例えば $2$ の逆元は何でしょうか? $1/2$ ……は整数ではないのでダメですね。 $0$ をかけると $2 \times 0 = 0$ と $0$ になるのでそれっぽいですが、 $0$ の場合には何を持ってきても相手によらず $0$ になってしまうため、 そもそも掛け算のなす群の仲間には含めないのでダメです。

実は、掛け算のなす群の場合には上限値を決めないと逆元は存在しません。 いま、この上限値を $7$ であるとしましょう。 すると、 \[ \begin{align} 2 \times 1 & = 2 \\ 2 \times 2 & = 4 \\ 2 \times 3 & = 6 \\ 2 \times 4 & = 8 \equiv 1 \mod 7 \\ 2 \times 5 & = 10 \equiv 3 \mod 7 \\ 2 \times 6 & = 12 \equiv 5 \mod 7 \\ \end{align} \] ですが、$2 \times 4$ は $7$ を法として $1$ と合同となるため、$2$ の逆元を $4$ とすると良さそうです。

他の数字に対しても同様に「掛け算した結果が $7$ を法として $1$ と合同になるもの」を見つけることができ、 具体的には以下の表のようになります。

もとの数字 逆元 掛け算結果 7で割った余り
1 $\times$ 1 = 1 $\equiv$ 1
2 $\times$ 4 = 8 $\equiv$ 1
3 $\times$ 5 = 15 $\equiv$ 1
4 $\times$ 2 = 8 $\equiv$ 1
5 $\times$ 3 = 15 $\equiv$ 1
6 $\times$ 6 = 36 $\equiv$ 1

まとめ

本記事では群とは一体どういうものを指すのか、どのような具体例があるのか、群を考えるとどういうメリットがあるのか、群の具体的な性質は何なのか、をみました。

色々な事をいいましたが、この記事を通して一番伝えたかったことは、

  1. 数字同士の足し算や掛け算、または二次元マップ上の移動操作など、「二つのモノを合体させて新たなモノを作れる」集合(モノの集まり)はたくさん存在する
  2. 「二つのモノを合体させて新たなモノを作れる」という性質だけを取り出して議論すると、こういった集合を一緒くたに扱えるため便利そう
  3. そこで「集合から二つのモノを取り出してきた時に、それらを合体させて新たなモノを作ることができるような集合」のことを「群(ぐん、group)」と名付け、この性質を研究しよう

というのが「群論」と呼ばれる分野の基本的な動機となっており、そして実際にこの「群」の性質を(数学的な議論を通して)究明しよう、というのが群論と呼ばれる研究分野だ、ということです。

群論の基本的な動機はこれだけではありますが、実際に専門書を手に取り勉強しようとすると、 この記事に書かれているような「そもそもなぜそのようなことを考えようとするのか?」という部分がほとんど、もしくは全く書かれておらず、 ただひたすらに抽象的で、小難しい物に映ってしまうかもしれません。 ですが、「この定理は何を意味するのか?」「これが分かったことで何が嬉しいのか?」というのを考えながら読んでいけば途中で挫折することなく読み進んでいくことができるのではないかと思います[7]

はじめは分からないことばかりであまり楽しくはないかもしれませんが、 分かってくるにつれてだんだんと群論の面白さもわかってくると思いますので、 是非めげずに勉強をしてみてもらえればと思います。

付録

群の定義

群の入門講義と言いつつ、群のしっかりとした(厳密な)定義を言っていませんでしたので、一応厳密な定義を載せておきます。 数学の用語を使って書かれているため、読みにくいとは思いますが、ここまできちんと理解できた方であればなんとか理解できるはずです。

ある集合 $G$ が群であるとは、$G$ 内の二つの要素($x, y$ とおく)を組み合わせて新しい要素($z$ とおく)を作る操作($x \cdot y = z$)が定義されており、 さらにその操作について次の性質が成り立つことをいう。

  1. (結合法則)$G$ のどの三つの要素($x, y, z$ とおく)に対しても、結果が操作を行う順序によらないこと:$(x \cdot y) \cdot z = x \cdot (y \cdot z)$
  2. (単位元の存在)特別な要素 $e$ が存在し、$G$ のどの要素($x$ とおく)に対しても $x \cdot e = x$ かつ $e \cdot x = x$ が成り立つこと
  3. (逆元の存在)$G$ のどの要素($x$ とおく)を取ってきても、ある要素 $y$ に対して $x \cdot y$($y \cdot x$)が単位元に一致するような $y$ が存在する

なお一般的には、さらに以下の性質を仮定する場合が多々あります。

  1. (交換法則)$G$ のどの二つの要素($x, y$ とおく)に対しても、$x \cdot y = y \cdot x$ が成り立つ

この四番目の性質が成り立つ場合、その群のことは特に「可換群」もしくは「Abel(アーベル)群」と呼びます。逆に成り立たない場合には「非可換群」と呼びます。

単純に「群」と言った場合には、可換群と非可換群をひっくるめて呼ぶのが通例かと思いますが、ここら辺の呼び方は比較的あいまいで、 「群」という単語を暗黙のうちに「非可換群」のことを指したり、逆に「可換群」のことを指して呼んでいる文脈もあったりします。

ですので、著者がどういう定義でその言葉を使っているのかは注意深く読み取る必要があります。

参考文献

群論は線形代数と並び抽象数学の入り口とも言える分野であり、数学にとどまらず、 物理学や情報科学など非常に多くの分野で用いられるものですので、入門的な教科書は多数出版されています。

ここでは著者の所有する関連書籍をいくつか列挙しますが、 人によって好みは違うと思いますので、 書店で実際に手をとって自分にとってわかりやすそうな教科書を選ぶことをおすすめします。

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こちらは情報数学(情報科学で必要な数学的知識のこと)の教科書ですが、群論の内容も少し含まれています。

そこまで詳しく書かれているわけではありませんが、情報科学者向けということもあり、比較的簡単に書かれていると思います。 情報科学を勉強するために簡単でいいので知っておきたい、という方には非常にオススメです。

ただ逆に、がっつり群論を勉強したい方には不向きかもしれません。

この著者のシリーズは考察などもしっかりと書かれており、数学書の中では比較的読みやすいほうだと思います。 ただ、内容的には高度なものも多分に含まれますので、はじめは分からないところは適当に読み飛ばした方がいいかもしれません。

この教科書のシリーズは考察などがほとんど書かれておらず、非常にコンパクトに仕上がっているものが多いです。 ですので一度勉強した後に辞書的に使うのには便利かと思います。

ただ、一番初めに読むには少し辛いかもしれません。


脚注:

  1. なお、「加法群」という単語には「足し算っぽい演算でできてる群」くらいの、ゆるーい定義しかありませんので、文脈や著者によっては違う意味で使われることがあります。この記事では整数に対して通常の足し算を考えた群のことを加法群と呼びます
  2. ちなみにこの数字は「モンスター群」と呼ばれる群の要素数(位数)です
  3. もちろん、巨大な数であっても上手く分割して計算することはできますが、「直接」CPUの命令で計算できるのは64桁まで、という意味です。また、CPUのビット数は厳密にはデータバス幅のことであり、少々語弊のある言い方ではありますが、理解のしやすさを優先してこのような表現にしたことに注意しておきます
  4. なお、これは正確には「群$\mathbb{Z}$をその部分群$100\mathbb{Z}$で割った剰余類のなす群(剰余類群)」という意味になっていて、もう少し深い意味があるのですが、ここでは細かく触れません
  5. なお、ここでは説明の分かりやすさのために右上のバツ記号は掛け算を表す、と言ってしまいましたが、一般的には右上にバツ記号をつけるのは「単元(可逆元)のみを取り出してくる操作」を表しますので、正確な言い方ではないことに注意しておきます
  6. これは抽象数学が流行った理由の一つであるのは間違いないと思いますが、これ以外にも、必要な性質だけを抜き出すことにより、より厳密に議論を行うことができるなどの理由もあることに注意しておきます
  7. 数学書などでは「この定理は何に使うのか?どういう動機で考えられたのか?」という部分が全く、もしくは殆どないことが多いですが、これには数学者の哲学的な理由があるようです。つまり、数学がやるべきことはそのような人間の感情に結びつくようなことはなるべく排除し、数学的な定理という中立的で確固とした事実のみを取り扱うべきであり、定理の解釈は各個人に委ねられるべきであって、教科書などに著者の思考を書くことで先入観を植えつけてはならない、というものです。それはそれで理解できなくはないのですが、(僕のような物理屋を含め)多くの方は定理を考える動機も言ってもらわないとなかなか読む気がしないですよね